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東京高等裁判所 昭和62年(う)932号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、検察官土屋眞一提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、弁護人西村常治提出の答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

控訴趣意中、訴訟手続の法令違反を主張する点について

所論は、要するに、原裁判所は、本件について被告人に対し懲役刑を科するのが相当であるにも拘わらず、罰金刑に処するのが相当であるとして、検察官の申立を排斥し、事件を地方裁判所に移送しなかつたものであり、この点において原裁判所の訴訟手続には裁判所三三条三項及び刑訴法三三二条の解釈、適用を誤つた違法が存し、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して所論の当否を検討するに、本件は、原判決の認定判示するとおり、被告人が昭和六二年三月一六日午後九時四〇分ころ、東京都新宿区歌舞伎町の路上において、通行人を売春の相手方となるように周旋目的で勧誘したという売春防止法違反の事案であるところ、被告人は、そのころ、右被疑事実により警視庁新宿警案署の警察官に現行犯人として逮捕されたが、警察官及び検察官の取り調べに対し、実弟の次男の氏名を詐称して同人になりすまし、同月一九日被告人氏名を甲野次男として、東京簡易裁判所から逮捕中在庁の方式により略式命令を受け、罰金未納のまま釈放されたこと、検察官の命をうけた東京区検察庁徴収課係官は、甲野次男に対し仮納付金納付告知書を発送したところ、同人から「身に覚えがない。」旨の連絡があり、指紋照合の結果、被告人が実弟次男の氏名を詐称していたことが判明したため、同庁検察官は同年四月一日東京簡易裁判所に正式裁判の申立をし、同年六月一一日の原審第一回公判期日において、本件は懲役刑が相当な事案であるとして裁判所法三三条三項、刑訴法三三二条により、本件を東京地方裁判所に移送されたい旨の申立をしたが、原裁判所は職権の発動をしなかつたこと、他方、東京地方検察庁検察官は、同年六月四日、東京地方裁判所に対し、被告人に対する同裁判所昭和六二年刑(わ)第一〇五一号私印偽造、同行使被告事件(被告人が前記売春防止法違反事件の捜査に際し、行使の目的をもつて弁解録取書及び供述調書の各末尾に甲野次男と記名し、他人の署名を偽造し、これを警察官に提出行使したとの公訴事実)について、右事件と本件売春防止法違反被告事件とは関連事件であるとして刑訴法五条一項により審判併合の申立をしたが、同裁判所は職権の発動をしなかつたことが明らかである。

そして、関係証拠によれば、被告人は、昭和三五年から昭和四四年にかけて、窃盗、詐欺、同未遂、傷害等の罪により懲役に五回、昭和四一年から昭和四四年にかけて軽犯罪法違反の罪により科料に一八回処せられたほか、昭和四五年から昭和六〇年にかけていずれも本件と同種の売春防止法違反(周旋目的による勧誘)の罪により罰金に八回、懲役に七回(うち二回は本件と累犯の関係にたつ)処せられていること、しかも、売春防止法違反による罰金前科のうち二犯(昭和五二年一〇月二五日付、昭和五六年二月二七日付各略式命令)は、いずれも被告人が懲役刑を免れようとして、本件と同様、警察官や検察官に対し実弟次男の氏名を詐称して略式命令を受け、これが確定したものであり、その後も、これに味をしめ、昭和五六年七月、昭和六〇年二月の二回、売春防止法違反の容疑で検挙された際に「次男」の氏名を詐称したが、警察官に氏名冒用を見破られそのたくらみが失敗していること、被告人は、昭和六一年五月一五日前刑で仮出獄した後、しばらく広島県下の更正保護会の寮に寄宿して冷蔵会社の作業員として働き、同年六月ころ帰京したものの、結局生活費に窮したあげく、出所後一年を経過しないうちに再び売春の周旋に手を出すようになつたことが認められる。

このような諸事情に照らすと、被告人の売春防止法違反の常習性は極めて顕著であり、反省悔悟の念も乏しく、犯情悪質であつて、その刑事責任は軽くなく、本件は懲役刑をもつてのぞむのが相当な事案であるといわざるをえない。

ところで、裁判所法三三条二項によれば、簡易裁判所においては売春防止法違反事件について懲役刑を科すことができないものとされているところ、同条三項は、簡易裁判所が、同条二項による科刑権の制限を超える刑を科するのを相当と認める場合には、訴訟法の定めるところにより事件を地方裁判所へ移送しなければならないと規定しており、前記のとおり懲役刑をもつてのぞむべきことが明白な本件は、同条三項によるべき場合であつて、刑訴法三三二条にいう「地方裁判所において審判するのを相当と認める」べき場合に該当するから、同条により決定をもつて管轄地方裁判所に移送しなければならず、これをしなかつた原裁判所の訴訟手続には、裁判所法三三条三項及び刑訴法三三二条の解釈、適用を誤つた違法があるというほかなく、右の違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、爾余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三七九条により原判決を破棄したうえ、同法四〇〇条本文前段により本件を原裁判所である東京簡易裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野幹雄 裁判官横田安弘 裁判官井上廣道)

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